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下矢 一良 セミナー風景 代表プロフィール 代表 下矢 一良 の経歴

略歴

PR戦略コンサルタント。テレビ東京、ソフトバンクなどを経て、コンサルタントとして独立。

早稲田大学大学院理工学研究科(物理学専攻)修了後、テレビ東京に入社。「ワールドビジネスサテライト」、「ガイアの夜明け」を、ディレクターとして制作する。

個の力で戦う中小・ベンチャー企業のあり方に魅かれ、500社以上の中小・ベンチャー企業を取材。経営者すら気づいていない企業の魅力を掘り起こし、再構築し、伝える。

また、7万通以上のプレスリリースを読んだことで、中小・ベンチャー企業が犯しがちな伝え方の敗因を知る。

その後、中小・ベンチャー企業への関心が高じるあまり、ソフトバンクに転職。孫社長直轄のメディア事業を担当し、孫社長の情報発信術を間近で学ぶ。年に1組しか選ばれない「ソフトバンク・アワード」を受賞。

テレビ東京やソフトバンクでの経験などを基に、商品の個性に頼らず何度もテレビに出られるようになるストーリーの構築法を編み出す。著書『小さな会社のPR戦略』(同文舘出版)。月刊『広報会議』(宣伝会議)、Forbesでも連載中。中小企業診断士。中小企業庁認定経営革新等支援機関。

詳細

原点

子どもの頃は、小児喘息と転勤族であったことが重なり、周囲に馴染めない日々を過ごしてきました。そのため進路は「技術者になれば、人付き合いをしなくて済みそうだ」という理由で、理科系を選択。早稲田大学理工学部物理学科に進学しました。特に目的意識もなく進学したので、在学中は何かに打ち込むというわけでもありませんでした。

物理学科では、9割以上が大学院に進学します。周囲に流され、私も特に深い考えもなく、大学院まで進みました。

せっかく進学した大学院だったので、研究に打ち込みました。ですが、学会発表や論文執筆を重ねても、自分の心のなかにはどこか違和感が残りました。やっていて「楽しさ」を感じないのです。どこか義務的に打ち込んでいる自分がいました。

そして、就職活動の季節がやってきます。はじめて「自分が本当にやりたいこと」に向き合わざるをえなくなったのです。そして、「自分が本当に欲していることは物理の実験ではなく、伝えること」だと気づき、文系就職を決意。「就職氷河期」と言われる時代ではありましたが、なんとかテレビ東京に入社することになりました。

テレビ東京に入社、報道番組の制作へ

テレビ東京に入社後、しばらくして念願叶い、『ワールドビジネスサテライト』を担当するディレクターとなりました。

テレビ東京は他のテレビ局と比べても、若手に大きな裁量を与える社風です。どの会社を、どのように取材し、最終的に番組で放送するか。そのかなりの部分を、自分の裁量で決めることができました。

どの会社を取材するかを選ぶ際、いつしか私は「完成した大企業」よりも、「荒削りな」中小企業やベンチャー企業を好んで取材するようになっていました。特に自らリスクを取って困難に挑む、起業家たちの生き方に惹かれました。

中小・ベンチャー企業の取材の面白さは、大企業と異なり、抽象ベンチャー企業では経営者の生き様がそのまま事業に反映しているところでした。製品、サービスや組織風土はもちろんのこと、壁に掲げている標語の類に至るまで、経営者の息遣いが聞こえてくるようでもありました。

私は取材時には、社内の細かなところまで観察し、さりげなく垣間見える中小・ベンチャー企業経営者の「想い」を見逃すまいとしていました。

この頃、私は「会社の看板」をフル活用し、まさに「歴史的な起業家」たちに直接インタビューすることもできました。スティーブ・ジョブズ氏、ビル・ゲイツ氏、孫正義氏、高田明氏、前澤友作氏といった錚々たる面々です。

番組ディレクターとして、修行の日々

ディレクターとしてやっていくからには、番組を代表する企画をつくるディレクターになりたい。3年以内に、10年選手に追いつき、追い越す。私はそんな目標を、密かに立てていました。

そのために、他人の2倍働こうと決意。当然、土日も休むわけにはいきません。誰もいない職場で、映像の編集や構成に取り組みます。さらに、1ヶ月に5日は会社で椅子をベッドの代わりにわずかな仮眠をとって、作業に取り掛かります。

さらにドキュメンタリーやニュースといった分野で、評価の高い番組を軒並み録画し、分析しました。私は元々、大学院時代は理系で、研究者を志した人間です。ここでは大学院で学んだ、理系的な分析手法が役に立ちました。

分析を重ねると、ニュース番組で受け入れられるテーマ設定には、明確な特徴があること。そして、経営者の生き様をつたえるためのストーリー構成の法則が見えてきました。

分析で得た仮説を番組制作のなかで、試す。そして、翌日には視聴率という形で、反応が返ってくる。分析、仮説立案、実践、そしてフィードバックを得るというサイクル。そんな日々を10年近く、過ごしました。

会社員としての挫折、そしてソフトバンクへ

番組制作に打ち込む毎日はきついものではありましたが、充実していました。ですが、その充実した日々は突然、終わりを迎えます。まったく自分の意に沿わない人事異動の内示を受けたのです。

今から思えば、まさに私の「若気の至り」が原因でした。自分の能力を過信するあまり、「自分にとっての正論」を語り、譲らない。いつしか社内に、私のことを快く思わない人々が増えていたのでしょう。

私は漠然と機械的に会社員を続けるのではなく、自分の人生を、自分自身の手で、まったく新たな方向へシフトすることにしました。テレビ東京を辞め、ソフトバンクに転職することにしたのです。

ちょうど、インターネットが爆発的普及期に突入しようとしていました。これまで取材してきた数多くの起業家のように、私も自分自身の手でビジネスを構築できるようになりたい。そのための「修行の場」として、ソフトバンクへの転職を決断したのでした。

初めての新規事業で、100億の赤字に

ソフトバンクで最初に担当したのは、インターネットでの動画配信事業を新たに立ち上げることでした。サービスは順調に利用者を獲得。月間800万という利用者数を得るまでになりました。

ですが、順調だったのは、利用者の獲得「だけ」でした。テレビのように無料で見せて、広告収入を得るというビジネスモデルなのですが、肝心の広告収入が全く増えなかったのです。

なぜ、事業として失敗したのか。それは利用者数の増加という数値目標しか見えていないことが原因でした。目の前の数値目標の先にある、「目指すべき新たな世界」をチームとして共有できていなかったのです。

累積赤字は最終的に3年間で、100億円にまで達しました。私たち管理職は度々、孫社長に呼ばれ、叱咤激励を受けます。

しかし、赤字体質から脱却することはできず、グループ会社であるヤフーへの事業譲渡が決定。私は人員整理や契約の解消などの「敗戦処理」にあたることになりました。

失敗を糧に、再び新規事業に挑む

「敗戦処理」が終わると、私は何もやることがない、社内失業者のような状態に陥りました。ですが、いつまでも「失業者」を続けるわけにはいきません。

私は、新たなサービスを企画することにしました。それが、日本初となる電子雑誌の定額読み放題サービスでした。動画配信事業の失敗を、自分なりに徹底的に分析、その反省をすべて詰め込みました。

前例のないサービスを実現するうえで、最も苦労したのは出版社との交渉でした。大手出版社は当時、インターネットをかなり警戒していました。ですが、業界を代表する雑誌を口説き落とさなければ、孫社長の事業開始の承認を得ることはできません。

どうやって、大手出版社を口説き落とすか。私は提案書類などの「伝え方」で勝負しました。右肩下がりに陥っている雑誌業界が、私たちの新サービスに参画することで、いかにして「紙と電子を合わせたトータル」で売り上げを回復できるのか。わかりやすく、簡潔に、出版社に示したのです。結果、日本を代表する40誌以上の配信契約を得ることができました。

そして困難と思われた新サービスは無事、スタートを切ることができました。この功績によって、私たちのチームは、1年にひと組しか選ばれない「ソフトバンク・アワード」を受賞したのです。

失敗と成功。一連の新規事業の立ち上げを通じて、何度も孫社長の会議に出席することになりました。会議でのディスカッションを通じて、「希代の起業家」である孫社長の情報発信の考え方や技術を間近で見ることができたことは、私の大きな財産となりました。

「伝え下手で損をしている人々」にスポットライトをー

そしていくつかの会社を経て、40歳を超えたことを機に、私は独立を決意しました。

ビジネスパーソンとしての「寿命」が40年だとしたら、およそ半分の20年は会社員として「修行の時代」を過ごしました。残りの20年をいかに過ごすか。私はかつて取材した起業家たちのように、自分の力でどこまでやれるのか、試したかったのです。

私が選んだのは、コンサルタントとしての独立でした。自分の経験と知識、そして思考を頼りに、道を切り開いていくことが、自分の性格に合っているからでした。

私が独立して、コンサルタントとして挑みたい「夢」。それは、日本中の「伝え下手で損をしている企業や個人にスポットライトが当たるようにすること」です。

良い製品やサービスをつくっているのに、あるいは熱い思いがあるのに、「伝え下手」で埋もれている会社や個人が山のようにいます。その姿はまるで、教室の片隅でひとり佇んでいた、かつての私自身の姿と重なって見えるからです。

「伝え下手で損をしている企業や個人に、スポットライトを当てる」。私はこの目標に、残りの人生のすべてを費やしたい。そう想い、今日も日々、奮闘しています。

「ワールドビジネスサテライト」「ガイアの夜明け」で500人以上の起業家を描いてきたストーリー構築法“熱狂的ファン”を生み出す実践的7ステップ