今週の専門コラム 「最強の武器はストーリー」 第60話 因果関係と雨男・雨女
久々に本コラムの更新です。
「シモヤさん、最近更新ないですね」
何度かそんな声をかけられました。
実は今年、本を出すことが決まり、その執筆に多くの時間を充てています。ということで、本稿の更新が滞っております。完全に言い訳ですが…。
本の内容ですが、PR のノウハウの決定版とも言えるものにします。我ながら、よくここまで出したと思えるほど、充実の一冊となりそうです。
本を書くにあたって、一応、他の同ジャンルの本に目を通してみました。正直、首を傾げたくなる内容がかなり見受けられました。
「メディアはこういうものを好みます」
「メディアへの売り込みはこうしてください」
効果があるどころか、逆効果になりそうなものが数多くあるのです。ここで少しだけ考えてみました。
「なんで、ここまで明らかな間違いを堂々と本として出すのだろう」
そんな疑問を抱いたのです。「騙してやろう」などという悪意は、ないはずです。書いた本人は正しいと固く信じている。ですが、内部にいた私、シモヤが読むと明確に論理的に間違いを指摘できるものばかりです。
そこで思い出したのが、雨男・雨女という存在です。
どこの職場にもひとりは、その人が外出したり何かしようとしたりすると雨が降ると冷やかされる存在がいるものです。ですが、いうまでもなく、その人が関わっていることと、雨が降ることに何の因果関係もありません。
因果関係とは、原因と結果がしっかりと結びついている関係のことです。
ですが、最低限の科学的な見識を持っている人であれば、「雨男・雨女が関わると必ず雨が降る」という因果関係を信じるものはいません。
雨男・雨女が関わったときに、雨が降ることが多い。たしかに他の人よりも、雨に見舞われる確率は高いのかもしれません。しかし、これはあくまで偶然です。繰り返しますが、因果関係はありません。
ところが、科学的な見識を持たない時代であればどうでしょうか。
雨男・雨女によって、雨が降る。そう信じたとしても不思議ではありません。雨男・雨女によるものではないと判断するための知識、経験、見識を持ち合わせていないからです。
雨男・雨女が外出した日に、雨が降った。それは間違いのない事実です。科学の見識が少しでもあれば、因果関係がないことは明らかです。ですが、それらを持ち合わせていない人に雨男・雨女のせいではないと説得するのは、至難の技でしょう。実際に雨を降らせるための人柱(生贄)が、中世には行われていたのです。
メディアをめぐる誤解の数々も、これと同種なのだと思い至ったわけです。雨男・雨女のせいであれ、気象のメカニズムによるものであれ、雨が降っているという現象は同じです。
効果のないこと、逆効果のやる。けれど、たまたまメディア対策として良い結果が得られた。雨男・雨女のせいだと判断しても、何の不思議もありません。
今回の本にはそんな雨男・雨女の類の話は、一切ありません。
ぜひ、ご期待ください。